跳到主要內容

發表文章

目前顯示的是 1月, 2012的文章

[譯]田村隆一,〈沒有話語的世界.歸途〉工作筆記

全詩請看 這裡 。   1 一句斃命    〈歸途〉 這首詩最難翻譯的其實是第一句。它是口語,是一句獨立的話,就像格言,或者像引言一樣,讓人想要替它前後加引號。而且因為後面出現第二次節奏覆唱,翻譯解讀的方式會影響整首詩的詩意。非常恐怖。 言葉なんかおぼえるんじゃなかった   還原成標準日語該是: 言葉なんかおぼえるのではなかった 言葉なんか = 語言這玩意/說什麼語言不語言( なんか 帶著無足輕重輕佻隨意的口語語調)   這句沒問題,但是 おぼえるのではなかった 就難了,會出現歧意。おぼえるの的「の」把這個句子名詞化,這裡出現一個詮釋的轉折。這時名堂就來了。   2 斷句機關   [pattern A]   我們把 言葉なんかおぼえるのではなかった 去掉口語,寫成更書面體,句子會是: 言葉をおぼえるのではなかった(把なんか轉成を)   言葉をおぼえる「の」ではなかった 的 の 是動詞子句名詞化,在這裡指稱的是前面「言葉をおぼえる(學習語言/學會語言/記得語言)」這件事情,ではなかった是過去否定,   所以是:(我)沒學過語言/不記得語言。   自此可理解成:我不會說話 ,但是我真實在 。 言葉なんかおぼえるんじゃなかった   這時候我們再把先前口語感的なんか等等配件還原回去,句子增加強調感,   會變成:語言這玩意(我)沒學過/語言這玩意(我)不會。   延伸更通順可翻成:語言我實在不會。   回到原句口語腔調的話,就是:說話我實在不會。   [pattern B]   可是 言葉なんかおぼえるのではなかった 其實可以用另一種方法斷句解釋,加個逗點變成: 言葉なんか、おぼえるのではなかった   這時候我就吐血了,究竟 の 指的是: A.言葉なんかおぼえる の ではなかった(前面pattern A的翻譯, の 指的是學習語言/學會語言/記得語言這整件事)   還是 B.言葉なんか、おぼえる の ではなかった( の 單指學習/學會/記得,和前面語言這玩意這句話斷開, の 變成有一點 もの 的意味在)   如果是B,就可以把句子轉成: 言葉なんか、おぼえるものではなかった( ものではなかった 會變成另一種強調語尾,帶有「不該」的意思) ...