全詩請看 這裡 。 1 一句斃命 〈歸途〉 這首詩最難翻譯的其實是第一句。它是口語,是一句獨立的話,就像格言,或者像引言一樣,讓人想要替它前後加引號。而且因為後面出現第二次節奏覆唱,翻譯解讀的方式會影響整首詩的詩意。非常恐怖。 言葉なんかおぼえるんじゃなかった 還原成標準日語該是: 言葉なんかおぼえるのではなかった 言葉なんか = 語言這玩意/說什麼語言不語言( なんか 帶著無足輕重輕佻隨意的口語語調) 這句沒問題,但是 おぼえるのではなかった 就難了,會出現歧意。おぼえるの的「の」把這個句子名詞化,這裡出現一個詮釋的轉折。這時名堂就來了。 2 斷句機關 [pattern A] 我們把 言葉なんかおぼえるのではなかった 去掉口語,寫成更書面體,句子會是: 言葉をおぼえるのではなかった(把なんか轉成を) 言葉をおぼえる「の」ではなかった 的 の 是動詞子句名詞化,在這裡指稱的是前面「言葉をおぼえる(學習語言/學會語言/記得語言)」這件事情,ではなかった是過去否定, 所以是:(我)沒學過語言/不記得語言。 自此可理解成:我不會說話 ,但是我真實在 。 言葉なんかおぼえるんじゃなかった 這時候我們再把先前口語感的なんか等等配件還原回去,句子增加強調感, 會變成:語言這玩意(我)沒學過/語言這玩意(我)不會。 延伸更通順可翻成:語言我實在不會。 回到原句口語腔調的話,就是:說話我實在不會。 [pattern B] 可是 言葉なんかおぼえるのではなかった 其實可以用另一種方法斷句解釋,加個逗點變成: 言葉なんか、おぼえるのではなかった 這時候我就吐血了,究竟 の 指的是: A.言葉なんかおぼえる の ではなかった(前面pattern A的翻譯, の 指的是學習語言/學會語言/記得語言這整件事) 還是 B.言葉なんか、おぼえる の ではなかった( の 單指學習/學會/記得,和前面語言這玩意這句話斷開, の 變成有一點 もの 的意味在) 如果是B,就可以把句子轉成: 言葉なんか、おぼえるものではなかった( ものではなかった 會變成另一種強調語尾,帶有「不該」的意思)
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